教育事業を開始します

2017.02.05

投稿者:R.project代表 丹埜

R.project
は社会の固定概念にとらわれず、物事の本来のポテンシャルに可能性を見出すチームです。日本のポテンシャルを信じているからこそ、それに蓋をする固定概念に問題提起することに情熱を持っています。

今までは地方地域やそこに点在する遊休施設の活用というテーマに取り組んできました。

これからは日本の教育の固定概念にチャレンジします。

 

簡単に、その背景となる自分のルーツを紹介させてください。

 

小学校1年~3年: 日本のインターナショナルスクール(St. Mary’s

小学校4年: ケニアの日本人学校

小学校5年: イギリスの現地全寮制学校

小学校6年: 麹町小学校(公立)

中学校: 麹町中学校(公立)

高校1年~2年: 桐朋高校(私立)

高校中退、オーストラリアの高校に3ヶ月通学、帰国後、大検取得

大学: 慶応大学

 

見てのとおり、結構多様な教育体験をしてきました。

 

インターナショナルスクールでは、裕福な家庭の子供だけで構成される学校のデメリットを感じました。(これは当時と言うより、少し振り返ったときに)。

イギリスの全寮制小学校では、たまたま多国籍なクラスだった事もあり、寝食を共にしながら多様な価値観が交わる素晴らしさを体験しました。

中学と高校では、勉強の意味がわからなく悩まされました。比較的優秀とされる学校であっても、学校や先生は「何のために勉強をするのか」と言う疑問に答えられないんだと感じました。

大学では、ますます実社会から離れる授業内容に失望し、結局教育ってなんなのか?と言う思いが深まりました。

 

大学を出て、ドイツ証券東京支店に入社し、29歳のときに起業をしました。

世界で最大規模の金融機関と、2名からスタートした会社の両極端を体験しました。

 

社会人になり、仕事で求められる能力を感じたり、成功している人を間近で見たり、自分の会社に良い人材を必死に求めたりする中で、普通の学校で行われている勉強は、やっぱりほとんど社会では役に立っていないという思いがますます強くなっています。

 

役に立っていないどころか、子供たちが主体的に考える事を妨げていると言う点で、逆にマイナスになっているとさえ感じています。

 

このような自身の経験から生まれた問題意識を元に、教育業界の固定概念にチャレンジをしていきます。

 

<What> 何をやるのか

 

既存のカリキュラムにとらわれないインターナショナルスクールを、全国に展開します。

 


✓実社会で役立つカリキュラムを取り入れます。(下記は一例)

コミュニケーション:

グループディスカッション、プレゼンテーション、ディベート、文章力など、幅広い手法のコミュニケーションについて学びます。その際に、できる限り今実際に起きている社会的な課題を題材にします。

言語:

授業は原則として英語で行うので、日本の高校生は卒業に基本的な英語力がついている状態になります。

海外から来た高校生は日本語の授業や寮生活、ホームステイなどを通して日本語の基礎を学びます。

プロジェクトマネジメント:

企業や自治体と共に事業を立ち上げ、企画から実行までチームで経験します。

テクノロジー:

様々なテクノロジーを用いて、世の中がどのように変わるのかを学びます。専門的技術を深めるというよりも、プログラミングの基礎を学び、企業や行政でのITの活用などを理解し、世の中でいかにテクノロジーを活かせるかを身につけます。

自分科目:

分野を問わず、学生が興味を持ったテーマを掘り下げます。スティーブ・ジョブズは大学時代に習字の授業を履修し、その後それがApple製品のデザインを考える上で活かされたと言っています。ジョブズはそれを「点と点を結ぶ学び」と呼び、短期的には実用性は無いようでも、興味がある分野を学ぶ重要性について語っています。

アート:

音楽、ダンス、デザイン、演劇など、幅広い分野のアートを経験します。自由に自分を表現する事、物事を0から作り出す創造性、身近な様々な場所でアートを感じる感性を養います。

 
その他、実社会で本当に必要な力とは何かを考え、カリキュラムに取り入れていきます。

✓高校をやります。

既存のカリキュラムにとらわれない学校をやろうとすると、義務教育の範疇では容易ではないので、高校をやります。


✓インターナショナルスクールにします。

多くの先進国に比べ、日本は在住外国人や日本国籍を取った外国人が少なく、学校において外国人と交流する環境はほとんどありません。千葉県に190校ある高校のうち、インターナショナルスクールは一つもありません。日本の玄関口、成田空港を有し、全国で6番目に人口が多い県であっても。

インターナショナルスクールの利点は、言語が学べると言う事以上に、思考がまだ柔軟な時期に異国の文化や違う価値観に触れることができる点です。多様性を理解する精神的なキャパシティを養うと同時に、自国に対する誇り、もしくは問題意識が芽生えます。

今まで以上に国境の垣根が下がり、さらにはアジアやアフリカが巨大な経済圏として成長する時代のなかで、青春時代を共にした仲間が世界中にいると言う事はかけがえのない財産だと思います。

 

✓地方でやります。

僕たちは10年間、地方地域で事業を行ってきました。地方の人口減少が切実な問題ですが、僕は教育の選択肢の少なさこそ地方が抱える最大の課題だと思っています。

なんとなくのイメージで「地方は仕事がない」と言われますが、実際は人材確保に悩む企業ばかりです。確かに仕事の選択肢は都市部ほどないですが、優良な企業はたくさんあります。

一方で教育については、学校は減るばかりで選択肢が極端に少ない。学校あたりの生徒数も少ない。

千葉県に190ある高校の中で、南房総地域では6校しかありません。当然学校数は人口に比例するので、人口減少が進む地方地域では身の回りの学校数が減っています。

南房総地域の子供は、家から遠く離れた学校も含めなければ、都市部の子供が持つような選択肢を得る事ができません。

自分自身のことであれば地方地域でチャレンジできる大人も、自分の子供の選択肢が減ることに対しては慎重にならざるを得なく、地方の人口減少の大きな要因になっていると思います。

我々は自分たちが合宿施設を運営するような地方地域においても学校を運営し、本質的な地方創生を目指します。

 

✓ボーディング制(寮制)にします。

R.projectが運営する日本各地の合宿施設で学校事業を展開します。(現在6地域、今後も拡大します)

僕が1年間通ったイギリスのボーディングスクールは、授業以外の時間にも多くの学びがありました。1部屋10人くらいのドミトリーでは、消灯時間を過ぎても話が尽きず、週末は周辺の森で焚き火などをして自由に過ごしました。

日本人同士であっても楽しい経験ですが、特に他国の子供たちと生活を共にすることは、多様性の理解や語学力がますます深まります。

R.projectは創業以来合宿事業を営んできた、ドミトリー運営を本業とする会社です。日中の授業に負けないくらいの体験を子供たちに提供したいと思います。

 

↑合宿中に中学生たちと仕事について話している様子。日中の教室以外のところにこそ、大人と子供の本音の付き合いが生まれます。 

Why> なぜやるのか。

 

日本の教育があまりにも社会とかけ離れていると感じるからです。

 

日本の教育は文科省が策定する学習指導要領に基づいて作られています。高校や大学に進む人が少数派だった時代に、研究を深める目的で作られた高等教育のカリキュラムが、ほとんどの高校生や大学生が企業や公務員に進む現代にも色濃く残っています。

 

中学や高校で必死になって詰め込む数学の公式、化学の元素記号、漢文の読み方、縄文時代の歴史、等々、これが本当に社会で活躍するための準備と言えるのでしょうか。

毎日使う日本語でのディスカッションを経験するよりも漢文のレ点の場所を覚えることや、いま中東で起きていることを深く学ぶことよりも縄文時代と弥生時代の土器の違いを覚えることのほうが重要なのでしょうか。

英語での会話がほとんどできないのに、英字新聞を題材にした試験問題を解かせることに意味はあるのでしょうか。

 

「学校で学んだことは社会で活きるべき」という、本来あたりまえのことを、世の中は改めて問いなおすことを避けているように思います。

机上の空論という言葉があるくらいなので、教育の実用性をどこかでは疑問に思っている人も、「学校の勉強が役に立たないなんてことはありえない」という固定概念の元、現状を受け入れてしまっています。

 
もちろん、学校の教科が全ての子供たちに全く役に立っていないとは思っていません。

僕たちの問題意識は大きく分けて二つあります。(特に5教科について)

①ほとんどの子供たちにとって、学校の教科よりもはるかに優先されるべきカリキュラムがあるのではないか。

②仮に現在の5教科が何かしら間接的に活きるとしても、最初から教科書中心の記憶型授業を行う必要はないのではないか。

の2点です。


①については、僕たちの学校で取り入れていく予定のカリキュラムにあるとおり、コミュニケーション全般、何かに取り組む際の主体性、チームワークなど、社会が実際に人材に対して求める能力のことを言っています。

学生時代の限られた時間で、なぜ、社会で絶対に必要となる力よりも、おそらく将来使わない(もしくは忘れて使えない)知識の詰め込みが行われるのか。


②については、仮に詰め込む知識、もしくはそれを活用した学びが将来何かしらに活きるとしても、本来であれば「学ぶ目的」を感じさせる手法がとられ、生徒側が「今学んでいることの意味」に納得していなければいけないと思っています。


どちらも本当に当たり前のことですが、現在の教育界では意外なくらいに軽視されてしまっているというのが、僕たちの問題意識です。


社会とつながりのない教育


なぜ、「現代語でのディスカッション」よりも「漢文」に時間をとる学校が存在するのか。

自分たちの主観で考える事が苦手で、客観的な評価に頼りがちな教育界は、子供たちの意見や表現ではなく、テストの点数で子供たちを評価します。大学も、入学試験が大きな収入源となる中で、簡単に評価できるテスト形式を用います。そんなテストでは本当の意味で優秀な人材を獲得できないとわかっていても、偏差値の高さが大学の価値を表し、企業が偏差値の高い大学から優先的に採用を決める以上、入試を変える必要がありません。

企業としても、テスト形式の勉強が会社の業務の上で役立つとは思っていないにもかかわらず、一括採用で何千、何万人の応募者からスクリーニングする一番現実的な手段として、大学名でフィルターをかけているんだと思います。

 子供たちの能力を高める教育になっていないのは内心わかっているけど、それでも各当事者の都合には当てはまっているし、残念ながらそれが「良い組織」に入るためのプロセスとして機能してしまっているから、日本の教育は深く議論されず、変化をすることなく今まで来たのだと思います。

社会に出れば、基本的にほとんどの局面で主観評価をされます。

組織においての人事評価も、レストランの人気を決める口コミも、企業の就職人気も、点数評価があったとしても、その点数は人々の感覚でつけられています。

定数評価の代表とされる営業マンの営業成績でさえ、そのサービスを購入している顧客は主観で買っています。

社会に出ればみな自分を表現し、評価されます。不公平に感じることも、理不尽なこともあるけど、それが社会です。

時には厳しくもある現実社会において、できる限り自分が正当な評価を得られるように、自己表現力、コミュニケーション能力、人間関係の構築力などが重要になってくるはずです。


それなのに教育界は、評価する側の都合で社会とかけ離れた評価制度を採用し、それに向けたカリキュラムは社会で活躍するために必要な力の逆を行っています。

これは日本のみならず、海外を見渡しても同じようなことがおきています。
最近ではこのテーマが北欧やアメリカでは盛んに議論されるようになっていて、

「Standardized testing = 標準試験」に向けた教育からの脱却 が進もうとしています。



我々の高校では、企業との連携を強化していきます。

教育コンテンツの共同開発、インターンシップの受け入れ、自治体も含めた共同事業の取り組み、企業からの外部講師による講演など、単発的な連携にとどまらず、日常的に共同の取り組みを行ってまいります。

現在、高校を卒業する学生のほとんどが、最終的には企業(もしくは何かしらの組織)に勤めます。(公務員も一つの組織なので、ここに含めます。)

それなのに、高校や大学では企業との接点はほとんどありません。高校生が大学を選ぶ際は「どのように学びを深めたいか」という観点よりも偏差値の高さが基準になり、大学生は就職活動をする頃に初めて社会を知り、「自分は何をやりたいんだろう?」と悩みます。すでに21歳です。自分の興味を無理にこじつけて就職活動をするから、活動中も、そして入社後も、ミスマッチがおきやすくなります。

高校や大学、つまり日本の教育界が、子供たちの進路というものから目をそらさず、少しでも選択肢を広げてあげよう、少しでも社会に出たときに活躍できるように準備をしようと、社会との接点を増やすことをしていれば、子供たちはもっと自信を持って進路を選び、その後もポテンシャルを発揮できるはずです。


手段が目的化する教育


もちろん学問は否定しませんが、学問自体を目的とする学者や研究者以外にとって(つまり世の中の99%の人にとって)、学問は何かを実現するための手段なはずです。その「実現したい何か」は社会の中にあるのに、社会との接点を限定してしまっては、目的を実感することなく学ぶ事になります。「机上の空論」とは、まさにこの事です。

コサインやタンジェントを学ぶことで、生徒は自然な流れで建築家になりたいと思うのでしょうか?逆じゃないでしょうか。

美しい住宅や、発展途上国を救うインフラ施設などを設計する建築家という仕事に触れ、彼らの話を聞き、実はその仕事の基礎的な要素として数学が存在をすることを知り、数学を学ぶ意欲が沸くのではないでしょうか。

さらに言うと、最近ではどの職業でもテクノロジーが進化し、知識自体はシステムが提供する事が多くなっているため、必要なのは学問の専門的な知識自体よりも、その知識を活用した考え方や発想に移っています。

そうなると、なおさら知識を目的化する弊害が生まれます。

知識自体が目的になってしまうと、例えば「コサインやタンジェントを用いて得られる論理的思考能力」を養うよりも、「とにかく目の前のテスト問題を解くためのテクニック」に重きが置かれます。

 

本質的な理解よりも、短期的な記憶が重視される教育

 

理解や好奇心が伴わない知識は、驚くほどすぐに頭から消えて行きます。実際に、どれくらいの大人が今でもコサインの法則を覚えているでしょうか。

大学入試に向けてあれだけ必死に勉強した内容も、大学入学後速やかに忘れてしまっています。それでも本当にその勉強に意味があったといえるのでしょうか。「数学は論理的思考能力を養うから重要だ」といえるのでしょうか。論理的思考能力を「忘れる」ことなんてあるのでしょうか。学ぶ長期的な目的も無く(「建築家になりたい」とか)、論理的思考能力とつなげた学び方もせず、覚えた内容は1年弱で忘れてしまっても、それでもどこか潜在的なところで無意識に活かされていると思うべきなのでしょうか。

 

僕はそうは思えません。

 

そして多くの子供たちも、学ぶ意味や目的を理解していません。今まで何回か子供のグループに教育というテーマで話したことがあり、よく「みんなは日々の勉強が将来どのように役立つか、理解している?」と聞きますが、ほとんどの子は自分なりの意見を持っていません。


学ぶ目的を取り戻す


好奇心が旺盛で、素直に物事を吸収する子供たちに対して、意味を理解していない事を強制的にやらせるのは、時間の浪費以外にも大きな弊害があります。主体性や自立の阻害です。

子供は生まれて最初の数年間、自分の周りの世界が広がっていくと共に好奇心は増していきますが、その好奇心は幼児期をピークに、大人になるにつれて下降していくといわれています。

子供の頃に感じた興味や疑問、そしてそれを素直に表現しようとする意思は、中学や高校に入る頃にはだいぶ弱まってしまっています。

無理もありません。幼児期にはある程度自由に育ててもらったのに、学校に入るや否や、先生や親が目的不在の勉強を押し付け始めるからです。ほとんどの子供が目的もわからず、面白いとも思えない勉強を、「いいからやりなさい」といわれ続ければ、自分が興味を持つ事を主体的に考えたり、自分の道を自分で進む自主性が損なわれていくのは当然です。

 

企業では、社員が行っている日々の業務がどのような目的を持っているのか、できるだけ実感してもらうマネジメントが主流になっています。

まずはより大きな、会社自体の存在目的や意義を実感してもらい、その達成のために、メンバー一人ひとりの日々の仕事があるんだと腹落ちした状態であるからこそ、仮に目の前の業務が地味だったり力仕事であっても、モチベーションを見出して働く事ができます。

宿泊施設のトイレ掃除という仕事をするにあたって、宿泊施設を利用しているお客さまの喜ぶ姿や、施設の目標、会社の理想が全く共有されなければ、それではただの地味でつらい作業になってしまいます。

「トイレをきれいにしてくれているから、お客さまの旅行自体の満足度も上がって、施設の目標が達成できるし、会社の長期的ビジョンも実現できる」ということを、できるだけ実感してもらうというマネジメントが広がっています。

社員の業務の「なぜやるのか」を共有する重要性が、企業の世界では認識され始めました。会社のビジョンの共有までは行き届かない企業でも、一人ひとりの仕事の意味くらいは、当然社員がわかるようにしています。

今の日本の教育は、子供たちに対して目的や理想の共有を軽視しています。

もちろん、先生の中には、子供たちの将来の夢やプライベートの悩みについて相談に乗ってくれるよい先生はいます。でもこれは子供たちが学校で時間の大半を使う、勉強の目的とは別の話です。「なんでコサインの勉強をみんなにして欲しいのか」をちゃんと共有しようとする先生は、残念ながらほとんどいません。

 

企業の世界、つまり大人に対しては日々の取り組みに目的意識を持ってもらうのに、学校の世界、つまり未来ある子供には必要ないということでしょうか。

 
子供たちにこそ、日々の学びに目的を伝えられなくてはいけません。


R.projectの教育の基本理念、「なぜ、それを学ぶのか?」

 

僕たちはそれを英語でSense of whyと呼んでいます。

Sense of という言葉は5感を表現する際に使われます。Sense of mouth =味覚のように)

ここでのwhyは好奇心のwhyも含みますが、一番大事にしたいのは疑問のwhyです。

大人が生徒達の素朴な疑問にしっかりと向き合う事こそが教育のあるべき姿だと信じています。


既存のカリキュラムをゼロベースで見直し、教える側が子供たちに自信を持って目的を語れる、そんな学校を目指します。

 

<How> どのようにやるのか

 

✓通信制の制度を使います。

学校自体は通学+寮制、つまり普通に通う学校にしますが、既存のカリキュラムから外れようとすると、通信制に分類される学校のほうが行いやすいです。
学習障害の子供たちや、何かの分野に特化したい子供たちのために通信制の学校が存在するのもこれが理由です。既存のカリキュラムにとらわれない学びをしながら、3年間で卒業し、通常の高校卒業資格を取得します。

 

 

 

✓授業料が現実的であること

日本の既存のインターナショナルスクールは年間の授業料が年間300万円前後と、ほとんどの家庭には非現実的な選択肢となっています。

日本の一般的な私立高校の授業料は年間70万円くらいだとして、この4倍近い差を埋めることは可能なのか。

インターナショナルスクールの学費が高いとされる理由は、海外から一流の教師を呼ぶ必要があることと、国から得られる補助金が少ない事とされています。富裕層の子供向けに学校を運営すれば、建物や立地にもこだわる必要があり、それもコスト要因になっています。

補助金については、今後国が国際教育を支援することを期待するとして、「施設コスト」と「教員コスト」を下げることにチャレンジします。もちろん、教育の質の妥協はぜずに。

施設についてはすでに学校の休みシーズンのみで黒字運営している当社の合宿施設を活用する事でコストを大幅に下げます。

教員については、子供たちにしっかりと向き合う良い教員は当然採用しながらも、企業や大学との連携により、学校が負担をしない教育コンテンツの開拓を積極的に行っていきます。

日本の私立高校くらいの授業料を目指すことにより、海外からも生徒を呼びやすくし、日本の全国に国際教育の機会を増やしていきます。

 

 

 

<When> いつからやるのか

 

20184月を目標に、遅くとも20194月までには開校したいと思っています。

R.projectは株式会社なので、学校法人の設立手続きを進めながら、同時進行で既存の通信制の学校と連携し分校としてスタートします。

最短の2018年開校ができれば、日本が世界に注目される20208月、高校生たちは最終学年を迎えています。

 

<Who> 誰がやるのか

R.project
が中心となり、共感頂ける企業や大学、場合によっては自治体と連携を組んで行います。

R.projectは現在宿泊業のみを行う会社ですが、約40人いる社員のうち、すでに約10名は教育事業にも強い関心を持っており、20174月には教育事業に専念する新メンバーが3名加わります。

昨年からいくつかの企業からヒアリングをして連携の可能性を頂いているのと、大学についても、高校の段階から共に取り組むことに賛同いただいている大学が数校あります。

 

--最後に、<Where> どこを目指すのか--

 

僕たちは近い将来、全国から何千人の卒業生が巣立っていく姿を想像しています。

 

彼らや彼女たちは頭でっかちではなく、社会で生きぬく力を持っています。

彼らや彼女たちは自国以外の多様な価値観に寛容な、真の国際人として国内外に羽ばたきます。

彼らや彼女たちは、活躍のフィールドは違えども、社会が呼ぶいわゆるエリートではなくても、
それぞれの環境でリーダーシップを発揮します。

海外から来た彼らや彼女たちは、自分を育てた日本の社会に感謝し、
いつか恩返しをしたいという正義感を持っています。

日本の彼らや彼女たちは、他国の価値観に触れたからこそ日本への愛が深まり、
いつかこの国のポテンシャルを引き出したいという使命感を持っています。

 

本来は独創性に溢れ、そして同時に自分の価値観を他人に押し付けない寛容さを持つ国、日本。

様々な価値観、人種、宗教がより複雑に混ざり合う21世紀に、日本が独自のポジションで世界のリーダーシップを取れるように、

学校と生徒たちが共に成長することを目指します。

 

 


ページトップへ戻る